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今度は私が手を繋いで一緒に歩いていくよ|まいこの虹色介護DAYS

皆さん初めまして。まいこと申します。私は高校生の時から両親・祖父母の介護と看護をしてきた所謂ヤングケアラーです。現在も兵庫県の実家と現在の千葉の家を行き来して介護・看護生活を送っています。今日本でも社会問題になっているヤングケアラー・介護業界の逼迫。私もまさにその壁にぶち当たっている当事者です。こちらのコラムでは10〜30代で様々な経験を乗り越えて来た私の『今までの介護体験』や『介護に対する考え方』『これからの日本の少子高齢化社会』等について約1年をかけ、自身の見解をほっこり話も交えながらお伝えしていこうと思います。

おばあと向き合うきっかけ

第一回目の今回は私が祖母と向き合うきっかけになった時のお話をしようと思います。私の祖母(以下、おばあ)は要介護5、現在はベッドの上で1日を過ごしています。昭和10年5月15日生まれの5人兄妹の末っ子であり、国語の教員免許を持つ博識な部分がありながらも非常にのほほんとした性格です。趣味はお料理とお散歩。そんなおばあも勿論昔は普通に元気に歩き、当時住んでいた香川県の川沿いをよく一緒にお散歩していました。徐々に歩く事が難しくなってきたのは私が高校生の頃。若い頃から大病を患ったりと、もともと身体も強くなかったおばあは次第に杖が必需品になっていきました。
杖を上手く使いこなし割とスタスタ歩いていたので、当時の私は『歳を取るとみんなこうなるものなんだな』くらいにしか思っていませんでした。しかしわずか1〜2年程で、杖を使って歩くのがやっとという状況に。その姿を見て私は何とも言えない、戸惑いの気持ちを持ったのを今でもよく覚えています。言葉を悪くするとまさに『見て見ぬふり』と言うのでしょうか。
その頃私はガンで父を亡くし、パーキンソン病の要介護5の祖父も在宅介護していたので、おばあと真正面から向き合う事が精神的に出来ず現実から目を背けていたのです。

ある日突然その時は来た

ある日突然おばあと向き合う日が来ました。夕飯の買い物帰りに、当時住んでいたマンションの廊下をおばあと2人で歩いていました。雪もちらつく程とても寒い日でした。その廊下は私が歩くと5分程度ですが、おばあの歩行速度だと15分から20分かかるような長さです。歩幅を合わせて一緒に長い距離を歩くのはとても久しぶりでした。私の想像を超えたゆっくり具合に『こんなに歩けなくなってきてたんだ』と初めて気付く事が出来ました。
そして一生懸命杖をつきながら歩いている表情を見て、おばあにとってこの廊下を歩く事がどれだけ大変な事か、そして歩くという事が『生きる事』に直結しているのだなと実感しました。私にとって何でもない廊下を、家に帰る為に生きる為に全力を注いで歩いている。その相反する姿を見て込み上げてくるものがありました。私が小さい時から手を繋いでどんな時でも一緒に歩幅を合わせてくれていたおばあ。それなのに今まで目を背けてきてごめんなさい。こんな寒い日もあれば雨の日もあったよね。もう1人にしないよ。これからは私が手を繋いで一緒に歩いて行くからね。そう固く決意した帰り道でした。

私に降ってきた疑問

私が決意したその日の夜、すごく疑問に感じた事が一つありました。
『なんでもっと早く向き合う事が出来なかったのかな、本当に酷い事をしていたな』それは勿論そうなのですが、私は『向き合うことを避けていた自分』もいる事が分かっていました。では何故避けていたのか、父と祖父の病気が発覚した時は全く無かったこの『現実を避ける』という心理。そこから数日凄く考えました。祖父と父には感じなかったこの違和感は何だろうと。
すると祖父の介護をしていた時に突然答えが見つかりました。『おばあは明確な病気がある訳じゃない。だから元気だった時の姿と比べてしまうんだ』と。
今まで父も祖父も『病気という原因によって出来ない事が増えてきた』に対しておばあは『歳と共に段々出来ない事が増えてきた』だったので、私の中で老いという現実を受け止める事が出来なかったのです。加齢と病気って勿論比べるようなものではないし、比べてはいけません。でもこの心理、読んで頂いている方の中で『分かる!!』と共感される方、実は多いのではないでしょうか。介護する家族の気持ちとしては、加齢と病気って少しニュアンスが違うような気もしますよね。でも忘れてはいけません。どんな理由であろうと出来ない事が増えて一番苦しんでいるのは『本人』です。私もその本質を見落とす所でした。

私がここまで大きくなれたのは・・・

ここで皆さんに一つ問いかけます。
今まで私達が小さかった時手を引いてゆっくり歩きここまで育ててくれたのは誰でしょうか?
そう勿論、両親や祖父母・親戚といった家族や大人ですよね。
ただこの『勿論』って言葉、ちょっとおかしいと思いませんか?私は思いました。
産まれてから大きくなるまで、私達は当たり前のようにお世話をしてもらい、手を繋いで歩いて貰ってました。それは子供が大人になるには助けが必要だから。では大人が出来ない事が増えたら?『勿論介護します!』って即答出来る方、きっと中々居ないのではないでしょうか。皆さん『介護か・・お世話か・・』と一瞬は頭によぎると思います。私も実際そうでした。
でもよく考えてみて下さい。私達は今までたくさん家族にオムツを変えてもらい、よだれも拭いてもらって、一緒に歩いて出掛けて・・全部お世話してきて貰いました。それが『大人』というだけで拭えない抵抗感。『子供と大人』という違いだけで、出来ない事を一緒に乗り越えていくという観点では子育ても介護も同じではないでしょうか。どちらも愛情を注ぐべきもの、注いで行かなくてはいけないもの。おばあも愛情込めて育ててくれて、私はここまで大きくなる事が出来ました。今私がおばあに手を差し伸べないで、他に誰が差し伸べようものか。今までしてきて貰った分、今度は私が一つ一つ返していきたいと思います。

今ではゆっくり歩幅を合わせて♩

その出来事がきっかけで私はおばあと向き合う事が出来ました。どんな形であっても『今度は私が手を繋いで歩幅を合わせて歩んで行こう』という思いは今でも変わりません。ただこの思いを貫くのにも紆余曲折しました。それについては今後お話していこうと思います。
おばあは今車椅子生活ですが、私がベッドから担いで移乗して車椅子に乗り、外食や旅行も楽しんでいます。ご飯食べるのが遅くても徹底した見守り隊、床にご飯をこぼしたって拾います。噛みやすいようにお肉も小さく刻みます。歯磨きだってしてあげます。だって今まで全部私にしてきてくれた事なんです。時には衝突したりイライラしたり全部投げ出したくなる事、勿論あります。でも『今度は私がおばあの人生を守って支えていく番』これだけは変わらない事実です。
『本当の恩返し』とはこういう事ではないでしょうか?

様々な想いを巡らしながらのまいこの初コラムでした。
こんな感じで書いて行くのでこれからも楽しみにして頂けると嬉しいです!

Maiko
千葉県から東京23区にかけて高齢者施設・個人様宅へ訪問し介護美容・シニア美容を提供しています。SNSでは介護美容に加えて、高校生からの家族の
ばあちゃん新聞編集部

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