ばあちゃんプロフィール
平川柳子さん 85歳
福岡県うきは市の豊かな自然の中で育ち、今も同市で暮らしておられます。昭和14年(1939年)第二次世界大戦が始まった年に、渡邉家5人兄妹の三女として現在のうきは市田篭(たごもり)で生を受けました。幼いころから母に「学ぶことの大切さ」を教えられ成長しました。結婚後はご主人の事業を支えながら、3人のお子さんを育て上げました。商工会女性部の役員を務めたのをきっかけに、地域の活動にも深く関わるようになり、市議会議員も経験されました。現在は三味線を楽しみながら、家族に囲まれて穏やかな日々を送られています。
「しなやかな強さ」の原点
うきは市田篭に生まれた平川さんは、幼い頃から母に「学ぶことの大切さ」を教えられ、当時女の子で高校へ進む人があまりいない中、地域で一番の進学校へ合格します。しかし当時は通学路がとても遠く、始発バスでも学校の始業時間に間に合わない環境でした。そこで、わずか15歳だった平川さんは「このままでは通えない」と思い、一人で住み込みをする決断をしました。山を下り、農作業小屋にたった一人で住み、自立した生活を送りながら高校に通ったのです。親元を離れての暮らしは、今では考えられない大変さがあったと思います。当時は電気や都市ガスもなく、七輪で自炊生活。学ぶ意志を貫いた自立した経験が、今の芯の強さに繋がっているのかもしれません。高校卒業後は地元の企業で働き、23歳でお見合い結婚をします。当時、恋愛結婚は少なかったそうですが、お付き合いしていない方からプロポーズされることが何回もあったとのこと。きっと魅力的な女性だったのでしょう。結婚後、ご主人のお父さんが亡くなり、突然多額の借金を抱えることになります。夫婦二人三脚で借金返済に追われながら、ご主人の事業を支える日々が続きました。「あの時は本当に大変だった」と振り返る一方で、「当時は頑張るしかなかったから」とも語られます。学生時代の自立、母の教え、結婚後の苦労。そうした経験の一つひとつが平川さんの人生の「心の柱」、つまり、どんな時も揺るがない心の軸を育んだのかもしれません。
誰もが「自分らしく」輝ける場所、「キラキラうきは」誕生秘話
平川柳子さんの地域への深い思いは、たくさんの人々の笑顔を生み出しました。特に高齢者の皆さんが健康で、生き生きと過ごせる場所「キラキラうきは」を立ち上げられたお話です。商工会の女性部で役職に就いた平川さんは「お年寄りが集まって、元気に過ごせる場所があれば…」という思いを抱きます。介護保険制度が始まる際、これからますます高齢化が進む中で、お年寄りが元気に過ごせることの大切さを感じ取り、具体的な行動を始められたのです。
高齢者の方との関わりのために、女性部のメンバー一丸となってヘルパー3級の資格を取得しました。翌年にはヘルパー2級へ挑戦し取得するなど、その行動力と周囲を引っ張る力には本当に驚かされます。そして3年の準備期間を経て、ついに「キラキラうきは」がオープンします。ここは、高齢者の方が気軽に集まり、おしゃべりしたり、体を動かしたりしながら、心も体も健康を保てる場所となりました。平川さんは、「毎日行く場所があることで、皆さんおしゃれをして来てくれるようになりました。たくさんの笑顔が生まれ、元気な姿を見ることができて、本当に嬉しかった!」と嬉しそうに話してくれました。

その活動は市の医療費削減にも貢献するほど、地域に大きな良い影響を与えました。この素晴らしい活動が認められ、64歳でうきは市議会議員に推薦。周囲の応援を受け、2期8年間、地域の声に耳を傾けられました。

花と自然、そして人のつながりを大切に
平川柳子さんのうきは市への熱い思いは、「キラキラ花の会」の活動にも繋がっています。うきは市の美しい自然を守り、そして未来へ繋ぐため、平川さんたちは、うきはバイパス210号線沿いを「日本一の彼岸花街道」にしようと心を込めて活動されました。13年間にわたり、地域の皆さんと一緒に手入れをし、花を通じて人のつながりも育まれました。また、東日本大震災の復興を願う「ひまわり街道」の整備なども行い、地域の景観を美しくするだけでなく、住民の心の絆を深めることにも繋がりました。「キラキラうきは」、「キラキラ花の会」、「市議会議員」さまざまな活動の原動力は何ですか?と尋ねると、「明確な目標」「誰かのために」「これが私の使命」その揺るぎない信念が、平川さんの活動を支える確かな原動力だったと語ります。明確な目標と揺るがない信念を持ち続けることで、どんな困難も乗り越えていけるのだと感じました。

85歳、今も輝き続ける平川柳子さんの「心豊かな生き方」
現在85歳になる平川さんが何より一番楽しみにしているのは、13年ほど続けている「三味線」です。そのお話をする時の笑顔がとても印象的でした。他にも書道や絵を描くことが日々の大切な時間だといいます。心に残った言葉を筆で書き留めておき、ふと立ち止まった時に見返し、自分を見つめ直して、また前に進む力をもらっていると言います。

そんな穏やかな日々の裏には、深い悲しみもありました。19年ほど前に長年連れ添ったご主人を、10年前には最愛の長女も亡くされました。大切な家族を続けて見送るという深い悲しみの中にありながら、平川さんは静かにそれを受け止め、今もなお、前を向き続けていいらっしゃいます。人生の先輩として、これからを担う方たちへ伝えたいことを聞いてみると
「子どもは行動で生き、大人は頭で生き、高齢者は心で生きる」
という言葉を教えてくださいました。それぞれの年代が持つ特有の価値観や大切にすべきことを表しているのだそう。子どもは体験を通じて学び、大人になると考えをもとに行動し、人間関係を「頭」で処理します。一方、高齢者は心の豊かさや人とのつながりを重視するようになります。各世代が持つ特性を理解し合い、寄り添うことが大切で、平川さんご自身がたくさんの高齢者と関わり、学び、そして「心豊かな人生」を見てきたからこそ、現在、心豊かに過ごされているのだと感じました。平川さんの教えに感謝し、これからの人生を豊かにしていきたいと思います。
あとがき
ばあちゃん新聞編集部の私と平川柳子さんの出会いは、ちょうど2016年熊本地震が起こった後でした。転勤先が被災したため、地元の福岡県久留米市に異動して来た時、共通の知り合いを通じて出会いました。不思議な縁で、これがきっかけとなり平川柳子さんとは、親戚関係になることになります。いつも夫と私を自分の子どものように気にかけてくださり、たくさんお話を聞く機会が増えました。凛としていて、自分らしく真っすぐ信念をもって生きる姿は同じ女性として憧れる存在の一人です。
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