ばあちゃん新聞スポンサー募集中(企業様・個人様)!

74歳。「抗がん剤にも負けず娘を支え続けた偉大なばあちゃん」福岡県筑後市 葬儀社 田中明子

ばあちゃんプロフィール
田中明子(タナカアキコ)74歳で永眠。1949年(昭和24年)5月23日生まれ。福岡県久留米市生まれ。結婚後は2男1女の子どもに恵まれる。明子さんエピソードを娘の由貴さんにインタビューさせていただきました。

この子はしっかりした子だから。見てなくてごめんね…

丸屋:明子さんについて教えてください。

由貴さん: 実は私自身、20代の頃摂食障害でガリガリに痩せていました。低血糖・低血圧を起こし、精神科病棟に入院することがありました。当時の病院は今のような明るい感じはなく、外観も内装も古く、暗い様子に恐怖心が強く出ていました。そんな中、母は毎日面会に来てくれていました。入退院を繰り返しており、母から病院に連れていかれたことに対してイライラすることもありました。でも、当時入院していなかったら、私は今この世にいないとも思っています。動けなくなっている自分に対して「しっかりしていると思っていたから、見ていなかった。ごめんね」と涙を流す姿を初めて見たとき、心が疲弊しすぎていて、思考が回らず、当時は何で泣いてるの?と感じていました。

若かりし頃の母子のツーショット

(20代の頃の由貴さんとお母様)

丸屋:明子さんはどんなお仕事をされてありましたか?

由貴さん: 家系的には学校の先生だったのですが、父との結婚を機に葬儀社に移ることになります。公務員一家であった家族からは反対されていたとも聞きます。当時、お見合いを何度も母はしており、何度もお断りしていたとのこと。そんな中、なぜ反対をされてでも父と結婚したのか。それは、お見合い翌日の話になります。

「うちの息子をみてくれないか」と祖父が頭を下げに来てくれ、そんなことが初めてだったからとのこと。父の印象も悪い印象はなく、祖父の傍にいれば大丈夫、そう思って結婚を決めたという話を聞きました。当時は母が祭壇をつくったり、立て看板の文字を書いたりしており、家業では無くてはならない人になっていました。

考えたって一緒。なるようになる。

丸屋:明子さんの闘病生活についてお聞きできますか?

由貴さん: 20年ほど前(当時明子さん50歳)乳がんになっていました。入院先から外出届を出してもらい、病院へ。「取ってきたよー」と乳房切除しているのを、何事もなかったように話す母の姿。入院生活を「上げ膳、据え膳、最高よ」と言うことに強さを感じ、驚きを隠せませんでした。そこから、自分が母にできることはないかと考えたときに、リンパケアの資格を取得する目標ができました。もう再発はすることはないと言われ、20年経過し、安心していました。しかし、庭先で転倒、骨折した日に一応検査をしたところ、骨盤に多数の転移が見つかり、抗がん剤治療が始まりました。入院中にどんどん表情や言動が変わっていく姿(せん妄といわれる状態)を見て、早く連れて帰りたい想いがあり、介護と育児の生活が始まりました。

孫の誕生日祝いとおばあちゃんの退院祝い

(誕生日お祝いと退院祝いでの写真)

丸屋:明子さんとの思い出は?

由貴さん:誕生日にはお肉が好きなので、焼肉を食べに一緒に行っていました。入院中は、美味しいものを食べたいと外出許可をもらい、うなぎを食べに行ったこともありました。お花が好きだったので、お花を見に行ったり、旅行に行ったり、孫の保育園行事にはいつも松葉づえをつきながら来てくれていました。お出かけするには両親と息子の4人で。息子の特等席は車椅子に座っている母の上でした。

あんたならできる。

丸屋:明子さんへのメッセージはありますか?

由貴さん: 自分が苦しかった時期でも見捨てずにいてくれた。どうなったときも、一番の応援団で居てくれました。「あんたならできる」その一言でがんばれると思いました。子どものためなら、こんなにも出来るんだ。私が摂食障害で悩み、苦しんだ10年間に母が見せてくれました。それを今度は私のする番だと思います。

おじいちゃんおばあちゃん、お母さん、孫の仲睦まじい写真

(いつも一緒だった家族)

あとがき

持ってあるセンスでお仕事をこなし、3人の子育てをされてきた明子様。自身もいろんな苦労をしつつ、娘さんを支えてきたエピソードを聴くと、本当に「お母さん」という存在は偉大だなと感じさせられました。

おばあちゃんの味。生きているうちは聞けるけど、もう聞けない。でも、だからこそ、その味を忘れないように身内で話しながらその味に近づけながらご飯をつくる。そんな話も由貴様とさせていただきました。親子の絆を感じる貴重なお話を聴かせて頂き、本当にありがとうございました。

丸屋優子

福岡県久留米市在住。 「タクティールケア専門」メンテナースえんざくら 代表 看護師歴19年目であり、高齢者施設や訪問看護でじいちゃん・ばあちゃんの医療面でのサポートを実施。令和6年12月にココロとカラダを癒す究極の触れるケア(タクティールケア)を専門とした保険外訪問看護を開設。

総合得点 -
0
  • 評価
    -

感想・コメント
0

まだクチコミが投稿されていません。
クチコミを書く

74歳。「抗がん剤にも負けず娘を支え続けた偉大なばあちゃん」福岡県筑後市 葬儀社 田中明子

※コメントとともに掲載されます。
※「本名」や誤解を招く名称等はご遠慮ください。

  • 評価必須

    星の数をお選びください

コメント投稿の注意点

コメントは「承認制」です。ばあちゃん新聞編集部の確認・承認後の掲載となります。内容が不適切と判断させていただいたコメントは不掲載となる場合がございますので、予めご了承ください。

スポンサー
募集中!
投稿
募集中!